第4章 調査の成果
第4節 4号墓
(1)遺構(第19図・第20図、図版6)
4号墓は、本調査区の中で比較的北側の一画に所在する遺構で、丘陵頂部近くの斜面を利用して構築 された掘込墓である。周辺には10基ほどの墓遺構が、部分的に切り合いながら検出されている。表土 を除去した後の地形においては、丘陵頂部から西側に向けて急斜面を呈し、僅かに緩斜面を挟み、再び 西側に向けて急激に下る形状である。この緩斜面範囲を利用し、墓庭が構築されている。遺構は天井の 崩落した埋没墓で、堆積土を掘り下げたところ墓室内から蔵骨器が3点出土した。そのうち2点は大き く破損した状態で検出されたが、位置関係や残存している状況などから、少なくとも床面に接する底部 は原位置を保っているものと判断される。
墓口方位は南西(N139°W)で、隣接する5号墓や6号墓などに対し90°近く回転しており、墓 庭を共有する位置関係にあるとみられる。墓室平面形は左右に長い長方形で、幅1.38m、奥行き1.12 mで棚を持たない形状であることから、墓室類型は1bに分類される。地山床面の直上で奥壁に沿って 3点の蔵骨器が配置されたものが、直立ないしやや傾いた状態で検出された。墓室覆土は地山崩落土と 判断されるニービの砂粒やブロックが堆積しており、天井も検出されなかったため、天井の崩落により 埋没した遺構であると考えられる。そのため墓室の高さは不明である。また、入口部分も削平あるいは 74号墓との切り合いにより失われていることから、詳細な形状等については不明である。
墓室から出土した蔵骨器は、前述のとおりいずれも原位置を保っていると考えられるマンガン釉甕 形2点および庇付きマンガン釉甕形1点である。一部破損して検出されたものの、蓋がされた状態で 残存していた様子が窺えるが、身の内部にはニービの砂粒が流れ込んでいる状態であった。遺構の明確 な造営年代は不明であるが、3点の蔵骨器から読み取ることのできた銘書には「同治三年」「咸豊七 年・・・嫡子」「道光弐拾九年・・・妻」の記載が見てとれる。遺構の規模などとも併せて考えると、
近世末を主として1~2世代で使用された家族墓であろうと考えられる。
(2)遺物(第21・22図、図版36・37)
本遺構に伴う遺物の種類と数量の内訳は第3表のとおりである。ここでは、墓室内から出土した蔵骨 器3点および陶磁器1点について図化して示す。なお、蔵骨器の観察表については章末の一覧表(第 32表)に記載している。
蔵骨器1(第21図1・2)は、マンガン釉庇付甕形の蔵骨器である。蓋(第21図1)は、つまみが 宝珠形で、体部の半分からやや下の位置に庇が廻らされる。鍔は概ね平坦で、鍔端部は平坦ないしやや 丸みを帯びた形に成形される。庇は半裁竹管形の工具により瓦屋根を表現し、正面には龍を貼り付け、
左右と背面には獅子頭を貼り付ける。身(第21図2)は、口縁部が外反し、口唇部が平坦に成形され る。肩部には貼付丸文が無数に配され、その下に庇を廻らせ、蓋と同様に瓦葺を表現する。肩部と胴部 はそれぞれ五区画に分けられ、それぞれの降棟の先端に獅子頭を貼り付け、正面には龍を貼り付ける。
その他胴部に屋門・蓮華文・法師などが描かれている。文様の大半は貼り付けで、口縁直下の横帯など 一部に線彫りによる施文がなされる。外面は全体に施釉されるが、底部際から底面にかけて露胎する。
蔵骨器2(第21図3・4)は、マンガン釉甕形蔵骨器である。蓋(第21図3)は、宝珠形のつまみ に、鍔端部は平坦形を呈する。体部は全体的に滑らかに調整がなされるが、頂部付近やつまみ基部には 調整痕を残す。身(第21図4)は、口縁部が直口し、口唇部は平坦に成形される。屋門は唐破風形の
② ①
③
③
② ①
S=1/60 EL=106.00
EL=105.00
EL=104.00 EL=104.00
EL=105.00 EL=106.00
X:26134.000 Y:22359.000
X:26134.000 Y:22357.000 X:26137.000
Y:22357.000
74号墓
4号墓
5号墓
A-A'断面図
B-B'断面図
B B'
EL=106.00
EL=105.00
EL=104.00EL=104.00 EL=105.00 EL=106.00
A
A'
A'A
EL=106.00
EL=105.00
EL=104.00 EL=104.00
EL=105.00 EL=106.00
B
B'
0
S=1/60
第19図 4号墓遺物出土状況平面図・立面図
第20図 4号墓・5号墓・74号墓遺構平面図・断面図
貼り付けで、頂部に玉飾りが貼り付けられる。胴部は線彫りによる蓮華文が描かれ、横帯では横帯2の みが突帯で、それ以外は凹線である。外面は口縁部から底部近くまでマンガン釉が施されるが、底部際 及び底面は露胎する。屋門は屋根と柱の半分程度が施釉され、屋門面は露胎するが、釉の飛沫が付着し ており、また、塗り分けも粗い印象である。安里編年(1997)のによると第Ⅳ期の1850~1880年に 相当する年代観が得られる。なお、蓋内面の銘書には「咸豊七年」(1857)の記載があることから、
おおむね一致すると捉えられる。
蔵骨器3(第22図1・2)は、マンガン釉甕形の蔵骨器である。蓋(第22図1)は、つまみが宝珠 形で、鍔端部は平坦に成形される。鍔は反りあがるなど、一部で変形が見られる。外面体部は滑らかに 調整されるが、つまみ基部には調整痕を残す。外面の鍔端部の半分程度までが施釉されるが、体部はハ ケによる痕が残る。身(第22図2)は、口縁部がやや外反し、口唇部は平坦に成形され、わずかに外 側に傾く。屋門は唐破風形の貼り付けで、頂部には花形の飾りを貼り付ける。肩部には唐草文、胴部に は蓮華文を配し、花は貼り付け、茎と葉は線彫りで描かれる。外面口縁部から胴下部までマンガン釉 が施されるが、底部際から底面にかけて露胎する。また屋門面は基本的に露胎するが、釉の飛沫が著し く、釉境も乱雑な様子が見てとれる。横帯は2~4までが突帯、横帯1・5が凹線である。これらを踏 まえ安里編年(1997)によれば、本資料は第Ⅲ期の資料であると考えられる。蓋の銘書には「道光弐 拾九年」(1845)の記載が見えることから、第Ⅲ期でも比較的後半に位置づけられる年代観が得られ る。
第22図3は沖縄産施釉陶器の水差である。灰白色の素地に、頸部内面から口縁を経て胴部まで緑釉 が施され、胴下部から底部にかけて露胎する。胴下部には飛散した釉の付着が、畳付には目砂が付着し ている様子が観察される。計測値などについては第8表に記載した。
(3)銘書
出土した3点の蔵骨器の蓋と身のそれぞれに銘書が記載されており、被葬者名・洗骨年・死去年など を読み取ることができた。いずれも蓋の内面に円形に文字が配されており、蔵骨器3の蓋の銘書は異な る筆跡の文字が混在する様子を見て取れる。銘書の内容については第5章に記載しているため参照いた だきたい。
(4)人骨
3点の蔵骨器の内部からそれぞれ人骨が出土しているものの、その残存状態は良くないが、いずれも 成人であることなどを観察することができた。詳細は第6章に記載した。
第21図 4号墓出土遺物(1)
蔵骨器1
蔵骨器2 1
2
3
4
第22図 4号墓出土遺物(2)
蔵骨器3
第8表 4号墓出土陶磁器観察表
図番号 出土地点 器形 残存
部位 口径 器高 底径 施釉 釉色
・色調 貫入 文様等 備考
第 22
図 3 墓室 水注 ほぼ
完形 3.0 8.9 5.5
外面は口縁から胴部まで施 釉。胴下部から底部にかけて 露胎。
内面は頸部まで施釉。
緑釉。釉の厚 さは一定でな く、まだら状 に濃淡を呈す る。
なし
素地の胴部に 沈線を 3 条廻 らし、上から 釉を掛けるこ とで施文。
胴下部の露胎 部に飛散した 釉薬が付着し ている。
2 1
3